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多様化と深化の10年〜特集・高知の音楽人に聞く90's

フィモシス 1990年代。私たちと音楽の営みはどうだったのか。あれから10年。多くの高知の音楽人たちに1カ月間、いろんな話を聞いた。彼、彼女たちの体験談が教えてくれたのは「音楽の細分化と雑誌の隆盛により、実に多様で深い部分ともつながれた時代」ということだった。では、代表として4人に紙面に登場してもらおう。

 【写真】90年代の雑誌の数々。さまざまな雑誌が生まれ、インターネット到来前でありながら多様な情報が得られた


バンドマンHanda

バンドマンHanda
 熱いライブで人気の高知のガレージ3ピース、不良外人のギター&ボーカル。「90年代の1枚」はギターウルフ「狼惑星」(97年)。「90年代前半はメジャーとインディが分かれてて、パンクバンドはメジャー行って失敗してた。ギターウルフがこのメジャーデビュー盤を出す時も『やばくないか?』と。でも聴いたら、変わらず熱いギターウルフがいた」
 —バンドを始めたのはいつ?

 「21歳のころ。94年ぐらいですね。(80年代末の)中学時代からいろんなの聴いてて。日本のパンク。高校入って90年代は(高知市帯屋町1丁目にあった)チャオホールに見にいってました。THE STAR CLUB。GASTUNK。その後、USパンク、ハードコアへ。フガジとか。で、高校出て、地元の高知で就職して。同じようなの聴いてた友人が県外行ってたんですけど戻ってきて、『バンドやろっか』ってことに」

 —かなりライブをやっていたと聞いてます。

 「同世代や自分より若い子たちとやってましたね。DIY精神で。ビラ作って、土曜、日曜は中央公園で配ったりしてました。当時としては珍しく県外からゲストを呼んだり。ゲストありの時は(同市大川筋2丁目にあった)昔のキャラバンサライ。地元組だけの時はサウンドボックスで」

 —プレイは今みたいに、スピーカーの上に登ったり客席に飛び降りたり、激しいスタイルでした? 

 「ステージでちゃんとやってました。でも90年代半ばにギターウルフが高知に来て…それがセンセーショナルで。高いとこ登って飛び降りたり。そんなことしたら演奏にならんので『やったらいかん』と思ってたけど、ギターウルフ見て『そこまで自分を解放してええんや』と。それが今の原点」

 —先輩バンドたちとは…。

 「先輩たちに対して『ツッパっちょかないかん』ってのがあって、若い僕らだけで固まってました。でも音楽に純粋で、家族みたいで。それが90年代半ば、先輩たちと融合して。やっぱり、みんな『パンクが好き』やったから」


CD店スタッフ 傍士朋美

CD店スタッフ 傍士朋美
 DUKEショップ高知店スタッフ。「90年代の1枚」はthe pillows「プリーズ・ミスター・ロストマン」(97年)。「短大卒業のころに出て。イン・ストア・ライブも、普通のライブも行って。やっぱり音楽が好きだ、音楽の仕事に就きたい!と思わせてくれた1枚。それで関西のイベント会社に就職しようとしたんですが…無理でした」
 —90年は中学2年ですか。中高生時代のアイドルは?

 「小学生時代は光GENJIでしたけど、中高はいません。バンドブーム。さらにいえば雑誌の時代、PATiPATi世代ですよ。高校時代は放課後、MUSEでCD見てWILLで借りて帰る、って生活で。はまったのはユニコーン。解散が発表された日(93年)、悲しくて学校休んだ。翌日、クラス中から『ショックで休んだんか?』って聞かれましたよ」

 —その後は?

 「95年に兵庫の短大へ行って。ロッキング・オン・ジャパンを読むようになり…休みの日は一人で大阪市内のCDショップ回って、置いてあるフリーペーパー集めてました。(洋楽は?)そのころはあまり聴いてないです。でもoasisは聴いたなぁ。FMで流れまくってたと思います」

 「ライブハウスも行くようになって。そのころはもう席のあるホールじゃなくて、オールスタンディング。中学時代に思ってた『怖い所』じゃなかった。女の子も多くて。the pillows。THEE MICHELLE GUN ELEPHANT。よく見たなぁ。高知へ帰ってきてのZE/YOのMICHELLE(98年2月28日)は前の方で。酸欠になりました」

 —DUKEショップ高知店に入ったのは?

 「98年春。まずはバイトで」

 —それから90年代末まで何が売れました?

 「日本のメロコアの時代。BRAHMANが相当売れた。それだけでなくて、お客さんはそれぞれに得意ジャンルがあって、そのジャンルを深く探っていく聴き方をしてましたよ。おかげで自分も聴く幅が広がった」


バー店長 山下 雅也

バー店長 山下 雅也
 2002年から高知市内のバー店長。「90年代の1枚」はギターウルフ「Jet Generation」初回限定版(99年)。「革素材、鋲付き。これ以上、ロックなジャケットはないでしょ。通常版には亡くなったビリーさんにサインもらってます。それがビリーさん唯一のサイン。99年2月6日ってありますね。この日に高知ライブがあったんやなぁ」
 「90年、いきなりロンドン行ったんですよ。当時働いてた(高知市内の)服屋の買い付けで。頭の中、ザ・クラッシュ。ロンドン・コーリングですよ。で、行ってみたら本当にパンクがうじゃうじゃ。モヒカンは赤いし。そんな人はみんなホームレスやし。タトゥーショップは普通にあるし。怖くて怖くて」

 —一方で高知のパンクは?

 「高知にも本物がいました。ハードコアな人たちが」

 —その人たちのも含め、たくさんライブ見たでしょ。

 「僕もバンドもやってましたしね。いろいろ見ました。このころもそうやし、その後、97年から働いたとこでも…」

 —それがK—CLUB。高知シティ・ハードコアの拠点。

 「ええ。おかげでいろんな人に会えた。ギターウルフも。97年にアメリカへ買い付けに行ったら、ギターウルフのライブがあって。セイジさんたちにばったり会って『チケットないんです』って言ったら、『スタッフのふりして入ろうよ』って。(与えられた役は?)ビリーさんの革ジャン持ち」

 —高知のオーディエンスってどうでした?

 「(高知市大川筋2丁目にあった)昔のキャラバンサライとか、B.B.cafeとか、ライブには結構な人が集まってましたよ。鋲(びょう)付き革ジャンの人もいっぱい、いました。今、いないでしょ。どこ行ったんだろ」

 「服屋さんで働いてた若い人たち…僕も含めて、よく遊んでましたよ。寝る間を惜しんで。クラブでも。『あ、あそこの店の!』って人が集まってた。個性的な人が。はりまや橋商店街の入り口にもそんな店があったような記憶があるなぁ。みんな朝まで遊んでそのまま仕事、でしたね」


DJ ca7

DJ ca7
 DJとしてハウス、ロックなどをスピン。ハウス系パーティー「ballroom」レギュラー。「90年代の1枚」はAIR「WEAR Off」(96年)。「洋楽はベックのシングル『デヴィルズ・ヘアカット』。衝撃でしたね。レディオヘッドの『OKコンピューター』も忘れがたい…でもAIR聴いたら、あのころをちゃんと思い出せるから、1stのこれ」
 「いろんな音楽を聴き始めるのは高校卒業後なんです」

 —96年ですか。

 「専門学校行きながら、夜はCDレンタル屋でバイト。専門学校を1年ほどで辞めて、昼間はCDショップで働いた」

 「そのころから、今のキャラバンサライへ高知のバンドのライブを見にいくようになって。週2ぐらいで。MUSHA×KUSHA。解散したけど冷凍チキン。お客さんもいっぱい。しかも最初から最後まで、ちゃんと見てましたもん。3時間半くらいずっとスタンディングで」

 —CDを扱う仕事に就いて、聴き始めたと。でも、そんな仕事を選ぶ「何か」が高校時代にあったのでは?

 「ロック雑誌より漫画って感じで…でも、Spiral Lifeを好きになって。同じクラスの女の子と2人だけでしたが。それから、いろんな音楽を聴きたくなって…」

 —CDを扱う仕事だと、かなり聴いたでしょ?

 「カタログのような注文書があって。最初は見てもさっぱり分からなくて。それが悔しくていろいろ聴きました。洋楽も。Spiralは解散したんで(メンバーだった車谷浩司のソロユニットの)AIR聴いて。ミクスチャーも爆音ギターも鳴らしてたでしょ。そんなAIRをきっかけに、ハードなロックも聴くようになった。パンク、ハードコア、メロコアとか」

 —DJを始めたのが…。

 「2002年11月。曲をつなぐとかまったく知らずに」

 —最初のパーティーで何をスピンしたか、覚えてます?

 「ええ。ザ・ケミカル・ブラザーズ『スター・ギター』とか。AIRもかけましたよ。Kjとやってるやつ」



 クールで凶暴なインスト【PISTOL JAZZ】

PISTOL JAZZ クールネスと凶暴性が同居したダンサブルなインスト…突然変異のような個性を持って、2009年の高知ロックシーンに彗星(すいせい)のように現れたトリオ。彼らの曲名を、そのままキャッチフレーズとして使わせてもらおう。「室戸の海賊」と。

 名前はPISTOL JAZZ。

 8ビート以外の複雑な4拍子のリズム…マンボやボサノバ、いや3拍子までをも16小節、32小節ごとに微妙に変えながらたたき込むドラムの東野敦夫(38)。ループランニングし続けるベースの森本正文(39)。そこにエッジの利いたザラザラしたリフや、浮遊感あるメロディーをギターの瀬戸崇生(37)がのせてくる。

 それは「1990年代にヨーロッパ映画のサントラやフレンチポップス、クラブジャズのレコードを聴きまくった」瀬戸の頭の中で鳴っている音を、3人で再現したもの。ジャジーで、ロッキン、パンキッシュでもある。

 幼なじみで中学生のころから楽器に打ち込んだ3人が、十数年前、地元・室戸での年1回のバーベキューパーティーで演奏するために結成。東野が自宅の工場に設けたオーディオルームで「パーティーの前にちょっと練習して」、ジミ・ヘンドリックスやジャミロクワイ、ジャザノヴァなどをカバーしていた。

 それが、生まれ変わる。2008年1月のことだ。

 前年、小中学校時代の同級生が亡くなる。高知から世界を席巻したハードコアバンド、DISCLOSEを率いた川上秀樹が。そのことが頭によぎり、瀬戸は思った。「自分はこのままで死んでいいのか」。東野に電話した。「音楽しか取りえがないなら、もっとちゃんとバンドをやろう」

 曲作りを始め、練習を重ね、CDを自主制作。それが他のバンドの耳に届き、昨年1月、高知市内のライブハウスに初めて呼ばれた。以来、月1〜2回のペースで出演するようになった。

 「JAZZ。それは自由って意味」「荒削りでいい。安心して聴ける音楽はやりたくない」と、ライブは3人の即興。

 長い付き合いで性格も知り尽くしている“海賊トリオ”は、さらなる「息が合う」瞬間を目指す。「ライブに没頭して、3人の感情がぴたっとはまって、弾こうとも思ってなかったフレーズが出る…そんな即興をやりたい」

 

 フレディに感謝〜読者の90年代

 読者の皆さんも「90年代の1枚」を寄せてくれました。

 ブラー「パークライフ」(94年) これぞブリットポップ! アナログシンセがウニョウニョ鳴って幕を開けるオープニングナンバー「ガールズ&ボーイズ」のポップ感は、世の中に余裕があり、自分も若かった「楽しい時代」とシンクロしていた。今聴くと「懐かしくて仕方ない」と感じるのは、そんな「時代を表した1枚」だからでしょう。 (高知市、悪魔ある晩)

クイーン「メイド・イン・ヘヴン」 クイーン「メイド・イン・ヘヴン」(95年)=写真 フレディ・マーキュリーの死後、完成したアルバム。壮大な音を鳴らした曲が多く、3曲目「レット・ミー・リヴ」ではブライアン・メイらもボーカルに参加してクイーンらしさを耳に焼き付けてくれる。何より「フレディは死を目前にしても、こんなにパワフルに歌ってるじゃないか」と元気づけられる。 (高知市、ニョリ)

 聖飢魔ll「LIVING LEGEND」(99年) 99年末に解散した聖飢魔llの“最終大教典”。私は88年に初めて聴いて、90年代はまさに「悪魔一筋」でした。1枚だけ選ぶのは難しいのですが、最後を飾るにふさわしい重厚さ、バラエティーさ…聖飢魔llの素晴らしさが凝縮されていると思い、これにしました。今聴いても本当にカッコイイです。 (高知市、きなこ)

 編・集・後・記

 今回の特集には90年代ロックのキーワードがずらり。バンド紹介でも、PISTOL JAZZの瀬戸崇生が「クラブジャズ」「DISCLOSE」と添えてくれました。

 記事には書けませんでしたが、取材ではまだまだ多くのキーワードが飛び交いました。UKのマッドチェスター、シューゲイザー、ビッグビート。USのオルタナ、グランジ、ミクスチャー。日本の渋谷系。高知のバンドの名も挙がりました。Be—Rock、LUCK BLACK、INSANE YOUTH。

 懐かしい言葉の数々に、思い出しました。あのバンドのライブに行った、あのCDを買った…。仕事でいえば97年の1年間、本紙金曜夕刊に載せていた「金曜CDJ」というコーナー。読者と記者が同じ1枚のアルバムを評価し合うというもので、FM高知とのタイアップも実現。毎週1曲、ラジオで流してくれました。

 記事を読んでくださった皆さんも、よみがえってくるのではないでしょうか。90年代ロックとあなたの物語が。それこそが今回の特集の“真のメーン記事”ではないかと思います。 (OK電算機)


(2010/02/05)



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