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ゼロ年代に残ったもの

「ゼロ年代の音楽 壊れた十年 the Music of the Decade」野田努、三田格、松村正人、磯部涼、二木信著/河出書房新社

 【写真】「ゼロ年代の音楽 壊れた十年 the Music of the Decade」野田努、三田格、松村正人、磯部涼、二木信著/河出書房新社

 ゼロ年代=2000年代とは、本書のタイトル通り、さまざまなものが壊され、失われた10年だった。

 日本社会においては、小泉改革により数多くのセーフティーネットがなくなり、「自己責任」という言葉が乱舞するようになった。格差があらわになり、競争が激しくなり、人間関係の希薄化が一層進んだ。

 音楽の世界では1990年代の多様性を否定するように、まるで人間関係の希薄化を補おうとするかのように「あなたとわたしのこと」しか歌わないJポップがあふれた。米英ではアンチ・ブッシュの音楽が現れたというのに、日本では反小泉の歌は生まれなかった。

 ここまでは、僕たちジャーナリストも再三、指摘してきた。本書はそれらをあらためて確認した上で、破壊と喪失を超克して「ゼロ年代も残ってきたもの」を示している。

 音楽ライター、磯部涼の「失われた場所を求めて」と題した評論。「新自由主義政策は、廃虚として辛うじて残っていた地域共同体を跡形もなく崩して再開発し、所謂、ファスト風土化を推し進めた」「それに対して、地元との繋がりも深い不良文化を基盤に持つ日本語ラップは、演歌が本来担っていたはずの地域共同体の再生と、初期のサブ・カルチャーが試みていたヴァーチャルな共同体の建設を同時に進める」

 そう、残ったのは不良文化だった。

 高知のシーン…ライブハウスやクラブの光景を、そこで出会った人々のことを思い浮かべる。ほのかに香る不良っぽさ。それは消失手前のギリギリの線で踏みとどまり、高知の若者の非日常をきらびやかに彩っている。今夜も、どこかで。

  (編集部、OK電算機)


(2010/4/17)



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