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300年の時を紡いで
ぼくは日曜いっちゃん。日曜市ができたころから、ずっとここに生息してるんだ。日曜市のことならなんでも知っているぼくが、市の歩みを紹介しちゃるきに。
街路市、オープンマーケットっていうのは、古くからあるんだよね。余剰生産物を交換したり、貨幣ができてからは必要なものを買ったりしていた市場経済の元祖みたいなものなんだ。
元禄3年(1690年)に発布された大定目のなかに「市日は毎月2日、17日、朝倉町。7日、22日、蓮池町。12日、27日、新市町。此定日先規の通、市之商売相違有へからざる事」とある。
土佐を治めていた山内家が市の規則を決めていたことが分かるよね。今も残る朝倉とか、蓮池の地名が使われているのが面白い。江戸期の街路市は旧暦の月決め
で日にちを決めて行われていた。日本に曜日が持ち込まれたのは、西洋の暦を採用するようになった明治時代から。そこで「曜日市」が登場することになるん
だ。
明治9年(1876年)に本町に日曜市が開かれたんだけど、本町通りに電車が通るようになってしまった。そ
れで次の年から帯屋町に移動した。帯屋町の日曜市はずっとにぎわっていたんだが、それも太平洋戦争(1941—45年)で、いつしか活気を失っていった。
高知大空襲もあったしね。

【写真説明】明治12〜14年ごろの日曜市。現在の電車通りグランド前から東を望む
けれど高知市民は焼け跡から雄々しく立ち上がった。市民の活気にうながされるように、終戦から3年後の昭和23年(1948年)追手筋で日曜市は復活したんだ。以来ずっと市民の台所として、新鮮で安全な食材を提供し、生活を豊かにする品々を供給してきたのさ。
散策を楽しむ家族連れ。日用品を買い求める若い夫婦。物珍しげに店に並べられた品物を見る子どもたち…。僕の目の前を、たくさんの人々が通り過ぎていった。
そして市に出店しているおんちゃん、おばちゃんたち。何代にも渡って店を守っている人たちもいる。親に連れられて市の手伝いをしていた女の子が、お母さんになり、またその子が市へ出るようになるっていう光景を時の流れの中でぼくはずっと見続けてきたんだ。
時を紡ぐこういった人たちのおかげで、市は成り立っているんだね。みんなそれぞれ工夫を凝らし、お客さんに「おいしい」、「役に立った」と言われるのを生
きがいに励んできた。店の品物を時々つまみ食いをさせてもらっているから言うわけじゃないけど、ぼくは市の人たちが大好きさ。
みんなも一度来てみて、個性的で人間味あふれるおんちゃん、おばちゃんたちと話をしてほしいな。何か心が楽しく豊かになるものを見つけることができると思うよ。ぼくも市のいろんな所に出没しているから、もし見かけたら声をかけてね。
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